2018年7月10日火曜日

虚栄という名の裏切り


久しぶりに、家人とBS映画を観た、「ブルージャスミン」。ウッディ・アレン監督が初タッグとなるケイト・ブランシェットを主演に、上流階級から転落したヒロインが再起をかけて奮闘し、苦悩する姿を描いたドラマだ。その外観を見て家人曰く、ブランド品が歩いていると。彼女はこれでアカデミー主演女優賞を獲得したが、なるほどと思わせる仕掛けが満載だ。家人を通じて私でも分かるブランド品に囲まれ、破産状況でもファーストクラスに乗り続け、スマホを持ち続け、しかも下流でしぶとく生き抜く妹をコケにしながら、守るべき虚栄とは一体何なのか?こそ、この物語の本題だろう。信じて疑わなかった夫の不倫で自ら転落してゆく様は、一攫千金を夢見て結局は破たんした妹夫婦の在り様と相似形を成し、金権主義に溺れる現代資本主義の痛烈な批判となっている気がする。実際の社会では格差は広がる一方で、金持ちはよりリッチに、より強固になり、愛だ恋だに精神的に病む事などないのだろうが、そこに敢えて夫への盲信的な愛情を絡め、あるいは一攫千金という唯一のチャンスを一瞬のうちにフイにする警鐘も込めて、物語は過去、現在をジグザグに行き来しながら、進んでゆく。虚栄はある意味での人生を生き抜く為のドライビングフォースの様なものだ。其れ無くして生きてゆくには、信頼し合い愛し合う家族や友人の存在が不可欠なのだと思うが、アレン監督はそこにも姉妹が里子同士という仕掛けを置き、血では補えない背景作りにも余念がない。お金持ちの世界が実際どんなものであるかは想像する以外手立てがないが、経済新聞で連載されている小説などでは、愛人こそOKで、遺産をしっかりと貰えれば大丈夫と腹を括る富豪夫婦が登場するが、虚栄の愛から目覚め、真の愛に突き進もうとするヒロインの夫の行動こそが、結局は虚栄の世界からの転落のトリガーになると言う極めて恣意的な作品でもあることに、やや怖ろしくもなる物語である。いやはや、お金持ちにはなりたくない、否、なれもしないのだが。

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