2018年6月12日火曜日

意外に頑固な105年の人生


「最後まで、あるがまま行く」:日野原重明氏を読んでいる。かの大先生の101歳~105歳に至るエッセーの纏めだ。氏は時たま、NHKにも出演され、長寿の秘訣あるいは取り組みを自らの口で紹介され、高齢者に夢を与え続けてくれたのではないだろうか?この本では触れて居ないが、死について問い質された時、「怖い」と事実を述べられた映像を私は明確に覚えている。既に確率から言えば、奇跡的な長寿を全うしていても、そして、医師ゆえに生死の意味も良く分かっているはずなので、それでも「怖い」と仰る姿勢が印象的だった。と同時期、前コマツ会長の生前葬が話題になり、一切延命治療を受けなかった姿勢と対比すると、一体どちらが正しいのか分からなくなってくる気もする。最近、身内の近親者を亡くした経験から言えば、「怖い」は孤独感の現れかもと思える。死ぬときはたった一人。その強烈な寂しさではないだろうか。逆に生前葬を行った元経営者もお別れの会は事前にきちんと済ますと言う想い出造りで、その孤独感を乗り越えようとしたのかも。さて、貴方は?と聞かれれば、貧しい家計の身の上から、出来るだけ残る家族に残す資金を増やすには、あるいは介護や看病で疲弊することから解放するには、一切の延命治療も不要ならば、葬式や墓も出来るだけ簡素なものにして欲しいとエンデイングノートには記載してあるし、常々家人ともそう話し合っている。大切なのはこれから人生を謳歌すべき残された人々であるべき、と私は考えているからだ。このエッセーのあとがきでこれを纏められた編集者が思わず漏らした死の亭主関白ぶりが記載されている。この歳まで来れば、さぞや物分かりの良い爺やかと思いきや、思い切り奥さんの前では威張っておられ、それを後で悔やんでいる辺りも面白おかしく感じた。孤独とは死後、忘れ去られる不安が織りなす感情とすれば、せめて死後が近づいたら、物分かりの良い、優しい人格者を演じたいものだと思ったりしている。出来るかどうかは定かではないのだが。

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