2018年5月31日木曜日

痛みという感覚に酔えるか


「ペインレス上下巻」:天童荒太氏を読んだ。ムーンナイト・ダイバー以来の著作だろうか。氏の作品はデビュー作からずっと読み下し、「家族狩り」「歓喜の仔」「悼む人」等、少なからず読後に深い余韻を残す作家と思っている。あとがきを読むと、長い年月に書きたいテーマだったらしく、著作にも訳4年間という期間を費やした600ページにも渡る長作だ。だから、一言で書評など書けない。だが、テーマは痛み。そしてその痛みとは一体何処から来て、何処へと向かうのか?を氏は書きたかったに違いない。その為に、心に痛みを感じないヒロイン野宮万浬と体の痛みを無くした貴井森悟をサブヒーローとして登場させ、そのアブノーマルな恋愛と愛憎をそれぞれの過去を交差させてゆく。アマゾンの書評は余り高くなく、未だ経済新聞等でも登場しない所を見ると、一般的な受けは余り高くないかもしれない。氏の言うこちらサイドの鈍重な人々(もちろん、私もそれに属する)にとって、痛みなど無いに越したことはないと思っている訳で、それと向き合う余裕など持ち合わせていないというのが現実なのだと思う。だからこそ、氏はこのテーマに取り組みたかったのだろうし、その凡庸な壁を越えてみたかったのかもしれない。今や、脳科学の進歩も著しく、人類の進化論と併せて、色々な事が分ってきているが、ゲノム解析が大いに進む肉体側の進捗に較べると、まだまだ研究の緒に着いたという所ではないだろうか?だからこそ、AIは未だ時期尚早という意見が多数を占める根拠になっているようにも思える。肉体の痛みは異常な状態への警鐘であり、生き物の生命維持の安全弁でもある。他方、心の痛みは一体何だろうか?しかも、肉体の痛みが無い状態でも起きるのは何故だろうか?その答えがこの小説にあるかと言えば、NOだろう。それは脳科学としての進歩を待たなくてはならないし、闇とされる人間の感情解析を重ねてゆく必要があるのだろう。痛みの裏には快感がある。そんな反語的キャッチコピーを元に、ストーリーを創り上げ、滅びゆくこちら側サイドの人々の未来を憂う姿勢はやはり氏ならではの警鐘的小説家の神髄に思えてならないのは、私だけだろうか。

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