2018年5月30日水曜日

銀行というビジネス限界


不動産投資は何時の世も、成功者と失敗者の両者に分かれてしまう。あのバブル期、二度と持ち家は無理だと思い高金利と在り得ない土地価格をベースとして家を建て、不良資産を抱えてしまった過去を私は持っている。人間、失敗しないと中々分からない。それを昨今話題になっている、シェアハウス物件への過剰投資事件に垣間見える。テレビで見ていると、普通の会社員が数億円の融資を簡単に受けられ、逆に投資先が破綻した結果年収の数十倍近い借金を背負う事になったと言う。確かに、あのカボチャハウスのHPを観れば、その気になるかもしれないが、問題は過剰な投資を薦めた銀行にもあるだろう。元々、銀行の社会的業務は預金にあり、それが低金利故に儲けられなくなったから、もっと収益を挙げようと、やや時代先行型の投融資案件に走ったのだろう。だが、其処に目利きとしてのビジネスセンスや預金管理を任せられている銀行としてのブランド力に自負は無かったのだろうか?逆に、そのブランド力維持のために難関な入社条件とそれに見合った高額な年収を得ているはずが、昨今はその土台も崩れつつあり、銀行員のこれから?なんて本まで登場する世の中だ。盛者必衰はどの業種にも存在し、AIなる知的機械の登場で益々、人間は肩身の狭い世界で生き抜くしか手立てがなくなる有様だ。戦後の高度成長時代には、各企業の資金繰りの知恵袋と金庫役で黄金時代を築いたが、今や各企業は自己資本比率を上げ、株や社債で資金繰りの幅を広げている。その影響は結局は銀行自身の融資業務の減少を引き起こし、融資業務に関するホウハウや実績すらも奪っていったのだと思う。確かに、金融商品業務との隔離行政があり、金の貸し借りでしかその業務を広げるしか手立てが無かった時代が長く、言わば貧しい行政の犠牲者でもあるのかもしれない。今後考え得るのは、デジタル貨幣への積極的導入での、マイナス金利(預金への適用)の実行等でサバイバルを図るとしても、持つべき信用力とのバランスをどう保つかがポイントになるかと思う。厳しい時代は銀行だけではないものの、時代の変遷は余り大きいものだと切実に感じている昨今だ。

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