2018年5月2日水曜日

デレクターズ・カットという虚構


「ディレクターズ・カット」:歌野晶午氏を読んでいる。中々読ませる。オチが凄い。どんでん返しは推理小説の極みであるが、冒頭から若者の奔放で乱暴な行動に閉口させたエピローグが最後まで、活きている。上手いなあ、と感心しながらも、テレビやネット世界での注目度を競い合う現代の人々の行動が愚かで空しい。昨今の小中学生の将来の職業にユーチューバーなる選択肢が上位に位置するらしいが、これも又、ネット上で泡沫のように消えてゆく存在だ。それほど、目立つこと、露出することに価値があるのだから、自己啓示欲の高い者には刺激的な時代なのかもしれない。この作品もテレビとネット社会を上手く行き来して、視聴率を得ようとする1契約社員の悪行がストーリーの中心にあるが、多摩川を左右にした都心、非都心といった些細な差別意識や、母子家庭の貧困さやテレビ局のデイレクターを頂点とした上下関係などが網羅されて読者を飽きさせない。さて、表題は昨今、色々な形で登城する。映画のデレクターカット版とか、結構昔からある。例えば、飛行機の友に、機内上映の映画放送があるが、その映画には仕掛けがあり、飛行機が墜落するような部分は事前にカットされている。これも広い意味でのデレクターである。映倫などは風紀を乱すとして、映画放映自身を前面カットする訳だから、これは凄い力だ。隣国の大国は首席に関する、あるいは共産党に関する悪い風聞は数万人は居ると言われるチェック要員によって、カットされるらしいから、こちらも凄い。かの大国は大統領自らがフェイクと一刀両断したり、あるいは自分好みの報道局を優遇したり褒め称えたりするのだから、似たようなものかもしれない。良薬口に苦し。諫言耳に痛しなんて、諺は時の権力者には通じないのだ。この小説でも、テレビ報道というビッグな権力とその存在に、右往左往する人々を描き、事実などどうでも捻じ曲げることが出来ると証明して見せている。そう言えば、役所から過去の都合の悪い情報が次々とリークされる最近の風潮は、時の権力の劣化もしくは衰退を暗に示しているのかもしれない。げに世の中は生き難いものだ。

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