2018年5月11日金曜日

知識人の憂いを聞く


以前、中京新聞に掲載されている、高村薫氏のコラム集を読んだ。当時は3・11後の頃だったので、あの鋭利な言葉と文章で原発行政に関し、滅多切りだった。その事をブログにも紹介した。作品は「作家的時評集2008-2013」:高村薫氏だったかと思う。やや技術的には未消化の部分の在ったが、筋は通っていて小気味よかった。そして、何故こうした良識が中央では通じないのか?と疑問に思った記憶がある。さて、「 終わりと始まり2.0」:池澤夏樹氏を読んでいる。氏も高村氏と同様に、私の敬愛する作家の一人だ。で、この本は氏が昨今感じた事をエッセー集として纏めたものだが、出版元(日々の掲載元も同じ)が朝日新聞だ。さすれば、何となく文面に予想が付く。反民主党、反安倍内閣の論調。先の中京新聞もどちらかと言えば、反中央の意識の強い出版社。故に、そうした論調に即した作家が自ずと選ばれ、その意を受けた様なエッセーになるのだろうか?逆に言えば、産経新聞等に石原慎太郎氏などが盛んに登場するのも、やはり同じ機構なのだろう。かのアマゾンが買収した新聞社が反トランプ寄りなのが、今のアマゾン嫌いの根っこにあると新聞には憶測が掲載されていたが、時に政権寄り、あるいは反政権側で作家たちも忙しい事ではある。とは言え、有能な文筆家の書くエッセーは、実に小気味よく、冷酷に現政権や現経済界の欺瞞を暴いて見せる。それはそれで良いのだが、それでは何も解決しない。そう思ってしまう。これだけの筆力ある作家たちがを替え、品を変え、責め立てても、多勢に無勢(但し、それを選ぶのは我々市民なのであるのだが)で、むしろ政治家や官僚の緩い下半身を狙った文春やテレビ朝日のスクープの方がずっと効果的なのは如何なものだろうか。きっと、高村氏も池澤氏も分かっていて、書いているのだろう。書かないよりはまし、少なくともコラムを読んだ何人かが次回選挙で反現行政権へと投票してくれたらと願っているに違いないのだ。同じコラムを書く身として、まずは正しい情報(少なくとも公的機関が掲載した記事や書籍を元に記事を書く)である事の証明と個人攻撃ではない形の未来志向的鳥瞰図のような私見が述べられたらベストかと思ったりしている。言うは易く行うは難し。実に言葉を選び文章を書き、それを世に問うことは大きな困難を伴うものだと再認識している次第だ。

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