2017年7月4日火曜日

罪と罰の再現劇


後編から読み下し、且つ途中時間の都合上吹っ飛ばして読んだ手前、且つ相手はノーベル賞候補の常連であるだから、批評など誠におこがましいので、幾つか感じた点を五月雨式に述べたい。「騎士団長殺し :2部 遷ろうメタファー編」:村上春樹氏である。主人公が絵描きであり、比喩として登場するのが、学生時代に嵌まったドストエフスキーの小説であるので、ここはやはり、論じなくて、どうしよう。そんな意気込みで読み進んだ次第。村上式比喩の世界の中で、今回アートが主体として登場するのは初めてとは言わないが、特異性を持ち、且つ科学が異常に進み過ぎたこの時代へのアンチテーゼにも伺えた。その古き時代への拘りは、主人公も含めた登場人物のクラシックやR&B・ロックへの固執にも表現されているようだ。一方、ベースに流れる悪意と良心の葛藤は、密やかに進行しつつある現保守体制への危機感と時空を越えた戦争批判をも含んでいるかに見えるのだ。勧善懲悪の物語とまではいかないまでも、此処まで書かないと、目覚めない現状の世界の閉塞感を氏は深刻に悩んでいるかもようにも思える。旧態然とした経済成長論でやってる感を演じながら、誰も望まないのに、権力にモノを言わして、あるいは批判は聞こえない振りをして、保守体制の強化に走る現政権への批判にも見えてくるのだ。免色はその象徴であろうし、それに騙される秋川笙子は一般大衆であるようにも見える。一方で氏がその希望と置く主人公は未だ少女である秋川まりえを救う事で、再び妻を取り戻す幸運を与えれるが、まりえ自身は成長し大人の女へと成長する過程でその悪意への感性が失せてゆきそうで不安な未来が透けて見えてもいる。決して、勧善懲悪な結末には出来ない深刻な現状が、氏には見えているのかもしれない。最近の氏の作品はどちらかと言うと持て囃され過ぎて、やや遠目に見てきた私だが、この作品は比較的すっと胸に入ってくる気がした。それだけ老成したのか、あるいは何となく感じる嫌な世の中の感じが共感できるのか、それは未だ定かではないのだが。きっと、段々と違った書評が出てくるに違いない。それらを見比べながら、是非読まれたら良いと思う作品である。



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