2014年8月17日日曜日

見識と言う名の限界

幸か不幸か、この数年間で読む本や雑誌のジャンルが増えた。それはコラムリストをしての心がけみたいな所もある。あるいは、物書きの覚悟と言うか、人間の義務と言うか、書いたことは一生残るし、残そうとも思っている(アマゾン等への電子書籍化の一番の目的は、此処にある)。しかるに、その結果として、モノ言いには注意が居ると感じている。
たかが、読者の少ないブログ故という言い訳はできない。むしろ、その自由さが勝手な事を書いてはいけないと考えさせている。
しかも、この勝手さと正しい事を書くとは表裏一体の所があって、「正しい」とはその時代で判明している事、あるいは得られる知識の中、更には許される表現の中に限定される。時代が経てば、陳腐化する情報もあれば、愚かだった考察もある。要は書きものは水ものであり、生き物だ。
故に、何をどう持論として書こうが、それはある局面を捉えた、書かれた時代を背景にした、限界的な個人的意見にならざるを得ないのだろうと思う。
何故、こんな事を長々と書いているからかと言えば、例えば、古市氏の書籍である。日本のダメ出し節である。広い見識者であることは分かる。頭も切れる。若者のリーダーとして、安倍政権に良く招集される。(実は、彼が選んだブレインは??と個人的には思ってはいるが)良く本も読み、時代の先々を読もうとしている。立派だ。だが、暗い!
日本人は兎角暗い出来事が好きだ。自虐的行いに魅力を感じやすい。これはエリートほどそうではないだろうか。努力に報われない低収入、あるいは低ポスト。これほど働けど、資源が少ない国土故に、超大国になり得ない事実。島国の癖に、グローバルなどと無理な事を頑張ろうとしている。適度な諦観を持たず、夢物語を追い続けている。
こんな平和で豊かな国は無いのに、更なる向上、更なる富を得ようと、もがいている。変だ。可笑しい。何処か間違えている。
多分、こんな事は多くの日本人が感じている。知っている。それを何度も何度も繰り返し、指摘するのが、大手の新聞や雑誌であり、日本ダメ出しをする見識者の面々だ。
暗い事は沢山ある。殺人や交通事故の報道が無い日は無い。それは人間いずれは死ぬのだから、偶々不幸にあっただけ。自分はその目に遭わなかったからHAPPYと考えればよい。こうしたニュース報道は見識者が書くレポートと、根っこは同じだ。ダメ出しを喜ぶ国民性に阿っている。
しかし、世の中、そんな暗い人たちばかりではない。しかも、しっかり歴史を読み切り、日本の良さ、人間の良さをしっかりと時代考証している人もいる。
そうした前向きな本に我々は特化すべきなのだと思う。
小説もしかりだ。暗い話は受けるだろうが、もっと人間の高尚な行いに目を向け、時代を楽しくすることに特化すべきなのだと思う。
自由は良い。書く自由も勝手だ。だが、人の気持ちを暗くしたり、ダメだしして、やる気を削ぐような見識者は要らない。
 

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